2011年01月17日
バレンタインデー(2)
おにぎりを食べ終わって、少し早いが待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所といっても彼女の家の前だが、
(あれ、もういる?)
「おはよう、今日も寒いね」
といつも通り。
「はい、コレ」
と彼女。
(バレンタインチョコキター)
「え、何?」
と気付いてないフリをした。
「今日、バレンタインでしょ」
彼女はそう言って、長方形の箱をくれた。
「家に帰ったら開けてね」と彼女は恥ずかしそうにしていた。
「うん!ありがとう!」
とかばんにしまった。
(中身は何かな〜?)
「クズケン、いつも飛んだり、はねたりしてるから、今日は静かにしてなよ。」
「なんで?」と俺は聞いた。
「箱が潰れるから」と彼女。
(中身割れ物?)
「そっか!」俺は少し考えた。
(俺がいつも飛んだり、跳ねたりするのは、まーちゃんとツルんでいるからだ。それに、奴にバレンタインもらったなんて言ってみろ、中身を食べられてしまう。これはヤバイ)
(なんとかしなければ)
気が付けば、もう学校の前だった。
「どうかした?」と彼女。
「いや、トイレ行きたくなったから先いくね」
「あとでね、コレ、ありがとう!」
俺は教室までダッシュした。
教室にはまだ誰も来ていなかった。
(今日はとにかく、かばん持っている時は静かに)
(いや、机ごと死守だ。たまに暴れて机倒す時もあるからな)
(みんなにはバレンタインは知らなかった事にしよう。)
(そうだ、そうしよう、名案だ)
少し安心した。
安心したら眠くなってきたので授業まで寝る事にした。
と10分も経たないうちにK田に起こされた。
「ケン○○ー、起きてよー」
K田はテンション高い時と甘える時は俺の事を本名の名前で呼び捨てにする。
ちなみに男。
「なんだよ、うるせーな!」
と俺は言った。
「今日はバレンタインだよー、ヘイ!」
K田はステップ踏んでいる。
「揺らすなよ、踊りたいなら廊下で踊れよ」と俺。
「キモチ悪いなぁ、何だよ」と聞いた。
すると、K田はチロルチョコ5つ手に持っている。
「チョコレートーモライマシタヨー」とK田。
「自分で買ったんだろ?インチキ外国人」
と突っ込んであげた。
「ノー、ノー、ノー、モラッタンデスヨー」
(まだ言うかデブ)
K田がしつこいので、俺は
「K田にチョコあげた人?」と大きな声で叫んだ。
みんなこっちを振り向いた。
K田は逃げて行った。
そしてまた寝た。
待ち合わせ場所といっても彼女の家の前だが、
(あれ、もういる?)
「おはよう、今日も寒いね」
といつも通り。
「はい、コレ」
と彼女。
(バレンタインチョコキター)
「え、何?」
と気付いてないフリをした。
「今日、バレンタインでしょ」
彼女はそう言って、長方形の箱をくれた。
「家に帰ったら開けてね」と彼女は恥ずかしそうにしていた。
「うん!ありがとう!」
とかばんにしまった。
(中身は何かな〜?)
「クズケン、いつも飛んだり、はねたりしてるから、今日は静かにしてなよ。」
「なんで?」と俺は聞いた。
「箱が潰れるから」と彼女。
(中身割れ物?)
「そっか!」俺は少し考えた。
(俺がいつも飛んだり、跳ねたりするのは、まーちゃんとツルんでいるからだ。それに、奴にバレンタインもらったなんて言ってみろ、中身を食べられてしまう。これはヤバイ)
(なんとかしなければ)
気が付けば、もう学校の前だった。
「どうかした?」と彼女。
「いや、トイレ行きたくなったから先いくね」
「あとでね、コレ、ありがとう!」
俺は教室までダッシュした。
教室にはまだ誰も来ていなかった。
(今日はとにかく、かばん持っている時は静かに)
(いや、机ごと死守だ。たまに暴れて机倒す時もあるからな)
(みんなにはバレンタインは知らなかった事にしよう。)
(そうだ、そうしよう、名案だ)
少し安心した。
安心したら眠くなってきたので授業まで寝る事にした。
と10分も経たないうちにK田に起こされた。
「ケン○○ー、起きてよー」
K田はテンション高い時と甘える時は俺の事を本名の名前で呼び捨てにする。
ちなみに男。
「なんだよ、うるせーな!」
と俺は言った。
「今日はバレンタインだよー、ヘイ!」
K田はステップ踏んでいる。
「揺らすなよ、踊りたいなら廊下で踊れよ」と俺。
「キモチ悪いなぁ、何だよ」と聞いた。
すると、K田はチロルチョコ5つ手に持っている。
「チョコレートーモライマシタヨー」とK田。
「自分で買ったんだろ?インチキ外国人」
と突っ込んであげた。
「ノー、ノー、ノー、モラッタンデスヨー」
(まだ言うかデブ)
K田がしつこいので、俺は
「K田にチョコあげた人?」と大きな声で叫んだ。
みんなこっちを振り向いた。
K田は逃げて行った。
そしてまた寝た。
Posted by くず at
09:30
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2011年01月17日
12、バレンタインデー(1)
学校がある日は朝6時15分に起きて、7時10分には電車に乗っていた。
(早起き)
というのも、通勤ラッシュに巻き込まれるのが嫌なのと
ついに!
彼女ができて、毎日迎えにいっていたからなのである。
部活が同じT田さん。
優しくて、、、。
(まぁまぁ)
話しをしていて通じない時があるが、天然キャラなんだ。
初めは部活のみんなに勧められ、何だか気になって、告白というのをしてみたら、OKだった。
(簡単に聞こえるだろうが、かなり緊張したんだ)
(これが青春なのか?)
そして。
2月14日が来てしまった。
バレンタインといえば、母、妹、いとこ、友達からの義理チロルしかもらったことがない。
(彼女からもらえるだろうか?
手作り?、ハート型?、クッキーかもしれないし)
昨日の夜から妄想に妄想を重ね、あまり寝れなかった。
そして、いつもより30分も早い電車に乗ってしまった。
T田さんの家は学校のすぐ近くだった。
俺は駅から少し遠回りして迎えに行っていた。
いつも途中にある、おにぎり屋でおにぎりを買うのが日課になっていた。
もう、常連客なのだ。
そして今日も
「おばちゃんおはよう、しゃけとおかか1個ずつね」と言うと
「いらっしゃい、しゃけとおかかね!」
「今日は少し早いんじゃない?」
とおばちゃん。
俺は「バレンタインだから」と応えた。
(理由になってないが)
「じゃあ、これはおばちゃんからね」と言って、おいなり2個付けてくれた。
「チョコレートもたくさんもらえるといいね」
と。
(ありがとう!おばちゃん!あと30年若かったらなぁんー)
そして、待ち合わせまで、まだ時間があるので公園でおにぎりとバレンタインおいなりを食べた。
(早起き)
というのも、通勤ラッシュに巻き込まれるのが嫌なのと
ついに!
彼女ができて、毎日迎えにいっていたからなのである。
部活が同じT田さん。
優しくて、、、。
(まぁまぁ)
話しをしていて通じない時があるが、天然キャラなんだ。
初めは部活のみんなに勧められ、何だか気になって、告白というのをしてみたら、OKだった。
(簡単に聞こえるだろうが、かなり緊張したんだ)
(これが青春なのか?)
そして。
2月14日が来てしまった。
バレンタインといえば、母、妹、いとこ、友達からの義理チロルしかもらったことがない。
(彼女からもらえるだろうか?
手作り?、ハート型?、クッキーかもしれないし)
昨日の夜から妄想に妄想を重ね、あまり寝れなかった。
そして、いつもより30分も早い電車に乗ってしまった。
T田さんの家は学校のすぐ近くだった。
俺は駅から少し遠回りして迎えに行っていた。
いつも途中にある、おにぎり屋でおにぎりを買うのが日課になっていた。
もう、常連客なのだ。
そして今日も
「おばちゃんおはよう、しゃけとおかか1個ずつね」と言うと
「いらっしゃい、しゃけとおかかね!」
「今日は少し早いんじゃない?」
とおばちゃん。
俺は「バレンタインだから」と応えた。
(理由になってないが)
「じゃあ、これはおばちゃんからね」と言って、おいなり2個付けてくれた。
「チョコレートもたくさんもらえるといいね」
と。
(ありがとう!おばちゃん!あと30年若かったらなぁんー)
そして、待ち合わせまで、まだ時間があるので公園でおにぎりとバレンタインおいなりを食べた。
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05:33
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2011年01月16日
11、リレーの結末、ノートが呼ぶ波紋
モンリの顔は怒っているのか?目茶苦茶集中しているのかはわからなかったが。
とにかく、やると言ったらやる男なのだ。
(負けず嫌い)
まーちゃんも凄い。バトン落としたのに、2位とは20mくらい離れたんじゃないか?!
バトンが繋がれる!
「え、早い」
陸上バトンパス。
こいつら本気だ。
モンリの足は速過ぎた。部活の練習でもあんなに真面目に走ってるの見た事がない。独走だった。
ちなみにモンリは練習嫌い。
I月にバトンが渡るが、既に2位との差が80mくらいある。
I月も頑張って走った。
I月がやってきた、まだ2位とは50m以上ある、
そしてバトンを受けた。
「よし、俺も」と思った。
100mは真面目に走ったが、どれだけ差が開いたのか見たくなってきた。
後ろをちらっと見た。
よく見えなかったから、もう一度、
結構離れてんだな。
楽勝。
そのままゴールしたが。
不完全燃焼だ。
アンカーは俺じゃなくても誰が走っても1位になっていただろうから。
まぁしかし、これでS井のヒゲは頂いた。
(早くヒゲを剃ってくれたまえ)
2日後、S井はちゃんとヒゲを剃ってきていた。
みんなで笑った。
S井は「お前ら覚えとけよ」と一言、言っていた。
(教師らしからぬ発言、謹んでくれたまえ。)
意外に運動会は楽しかった。
ある日の昼休み、隣の教室の2組に遊びに行った。
適当に席に座り、誰の席なのかは知らなかったが、K田と話ながら、机に猿の絵を落書きしていた。
そこに、トモツグがやってきて「屋上行って、野球しようぜ」と言われたので、屋上にいった。
ボールは習字で使った紙を丸めてセロテープでグルグル巻きにしたもの。
バットは、ほうき。
トモツグが投げた、そして俺が打つ、ファール。
屋上のフェンスを越えた。
「フェンス越えないと取れないな」
「俺取ってくるわー」
フェンスをよじ登った。
以外に高いフェンスで、てっぺんが曲がっていて登りにくい。
少し時間がかかったが、フェンスの向こうからボールをトモツグに投げ、またフェンスを登り戻ろうとしてる時に、A先生が走ってきた。
「お前ら何やってる」
トモツグが「野球です」と普通に返した。
A先生「違う、クズOお前だ」
危ないじゃないか、そんな所で、落ちたらどうするんだ。
「落ちたら死ぬよな」とトモツグ。
(当たり前だ、ここは5階)
「いいからこっちへ降りてこい。」とA先生に言われ、戻った。
ボールとほうきを取り上げられ、教室に戻った。
2組のU子が、俺のクラスにいて、あげたはずのノートを持ってこっちに来た。
「どーした?」と俺。
「あのさ、この猿の絵、クズケンの書いたやつだよね」と聞かれた。
「そーだよ。だって俺のノートだもん。当たり前だろ」「なんで?」
と聞いた。
「じゃあちょっときて」と腕を掴まれ、2組まで連れていかれた。
2組に行くと、何やら大勢集まって、真ん中で、一人女の子が泣いている?!
良く見ると、さっきK田と机に落書きした所だ。
(しまった、消し忘れた。)
(コイツの席だったのか)
なんか事が大事になってる。しかもノートに書いてある猿と同じじゃん。
(筆跡鑑定するまでもない、バレバレ)
その頃、テレビCMでやっていた、バザールでござーるの猿を一生懸命練習していたのだった。
(あー、しくじった。)
しかし、この場をなんとかしなければ、。
(ここ、君の席だったの、ゴメンじゃ済まないよなぁ)
(とにかく謝ろう。)
「ごめん、それ俺が書いた。消すから」
と泣いているKさんに謝った。そこに音楽のT野先生(2組の担任)が来た。
「クズO君ちょっと職員室に来てくれる」
「はい」
職員室に入ると、学年の先生がみんないた。
「クズO、今度は何した?」と担任のS井。
(てめぇまだヒゲの事、根に持ってんじゃねぇだろうな)
(こいつら職員室で呑気にコーヒー飲んでるよ)
そして、T野先生は他の先生方に事情を説明したが。
その後
コーヒーのツマミにされた。
「その女の子好きなのか?」とか
「気を引く為にやったとか?」
ある事ない事を言いたい放題。
(あのノートの落書きさえなければ、シカト出来たのに)[運動会編参照。]
今回は何とかやり過ごし
、お咎めはそれほどなかった。
この先も職員室には何度も出入りする事になるとはなぁ。
とにかく、やると言ったらやる男なのだ。
(負けず嫌い)
まーちゃんも凄い。バトン落としたのに、2位とは20mくらい離れたんじゃないか?!
バトンが繋がれる!
「え、早い」
陸上バトンパス。
こいつら本気だ。
モンリの足は速過ぎた。部活の練習でもあんなに真面目に走ってるの見た事がない。独走だった。
ちなみにモンリは練習嫌い。
I月にバトンが渡るが、既に2位との差が80mくらいある。
I月も頑張って走った。
I月がやってきた、まだ2位とは50m以上ある、
そしてバトンを受けた。
「よし、俺も」と思った。
100mは真面目に走ったが、どれだけ差が開いたのか見たくなってきた。
後ろをちらっと見た。
よく見えなかったから、もう一度、
結構離れてんだな。
楽勝。
そのままゴールしたが。
不完全燃焼だ。
アンカーは俺じゃなくても誰が走っても1位になっていただろうから。
まぁしかし、これでS井のヒゲは頂いた。
(早くヒゲを剃ってくれたまえ)
2日後、S井はちゃんとヒゲを剃ってきていた。
みんなで笑った。
S井は「お前ら覚えとけよ」と一言、言っていた。
(教師らしからぬ発言、謹んでくれたまえ。)
意外に運動会は楽しかった。
ある日の昼休み、隣の教室の2組に遊びに行った。
適当に席に座り、誰の席なのかは知らなかったが、K田と話ながら、机に猿の絵を落書きしていた。
そこに、トモツグがやってきて「屋上行って、野球しようぜ」と言われたので、屋上にいった。
ボールは習字で使った紙を丸めてセロテープでグルグル巻きにしたもの。
バットは、ほうき。
トモツグが投げた、そして俺が打つ、ファール。
屋上のフェンスを越えた。
「フェンス越えないと取れないな」
「俺取ってくるわー」
フェンスをよじ登った。
以外に高いフェンスで、てっぺんが曲がっていて登りにくい。
少し時間がかかったが、フェンスの向こうからボールをトモツグに投げ、またフェンスを登り戻ろうとしてる時に、A先生が走ってきた。
「お前ら何やってる」
トモツグが「野球です」と普通に返した。
A先生「違う、クズOお前だ」
危ないじゃないか、そんな所で、落ちたらどうするんだ。
「落ちたら死ぬよな」とトモツグ。
(当たり前だ、ここは5階)
「いいからこっちへ降りてこい。」とA先生に言われ、戻った。
ボールとほうきを取り上げられ、教室に戻った。
2組のU子が、俺のクラスにいて、あげたはずのノートを持ってこっちに来た。
「どーした?」と俺。
「あのさ、この猿の絵、クズケンの書いたやつだよね」と聞かれた。
「そーだよ。だって俺のノートだもん。当たり前だろ」「なんで?」
と聞いた。
「じゃあちょっときて」と腕を掴まれ、2組まで連れていかれた。
2組に行くと、何やら大勢集まって、真ん中で、一人女の子が泣いている?!
良く見ると、さっきK田と机に落書きした所だ。
(しまった、消し忘れた。)
(コイツの席だったのか)
なんか事が大事になってる。しかもノートに書いてある猿と同じじゃん。
(筆跡鑑定するまでもない、バレバレ)
その頃、テレビCMでやっていた、バザールでござーるの猿を一生懸命練習していたのだった。
(あー、しくじった。)
しかし、この場をなんとかしなければ、。
(ここ、君の席だったの、ゴメンじゃ済まないよなぁ)
(とにかく謝ろう。)
「ごめん、それ俺が書いた。消すから」
と泣いているKさんに謝った。そこに音楽のT野先生(2組の担任)が来た。
「クズO君ちょっと職員室に来てくれる」
「はい」
職員室に入ると、学年の先生がみんないた。
「クズO、今度は何した?」と担任のS井。
(てめぇまだヒゲの事、根に持ってんじゃねぇだろうな)
(こいつら職員室で呑気にコーヒー飲んでるよ)
そして、T野先生は他の先生方に事情を説明したが。
その後
コーヒーのツマミにされた。
「その女の子好きなのか?」とか
「気を引く為にやったとか?」
ある事ない事を言いたい放題。
(あのノートの落書きさえなければ、シカト出来たのに)[運動会編参照。]
今回は何とかやり過ごし
、お咎めはそれほどなかった。
この先も職員室には何度も出入りする事になるとはなぁ。
Posted by くず at
07:24
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2011年01月16日
10、運動会
悪になろうとしながらも、部活はかなり真面目だった。
(陸上、命って感じ。)
100mのタイムが伸び、12秒4が出た。
200mも24秒5。
(中学2年にしては早いほうだろ。努力はするもんだな。)
部活の方は順調。
他の学校生活はというと、
結構、イケていた。
ある休み時間。
「クズケン、要らないノートとか、なんでもいいからちょうだい!」
って、去年クラスが一緒だったU子ではありませんか。
U子は今は隣の2組。
「なんで?!」と無愛想にスカシタ。
[転校生編参照。]
「同じクラスの子が、クズケンの物、なんか欲しいって!」
(なんだ?遂に俺にもモテ期到来?!)
顔がニヤつき始めるのを必死にこらえた。
「誰?!」って聞いた。
「ナイショ!」とU子。
「人に物あげるんだから、名前教えてくれたっていいだろ」と言ったが、、。
U子は「無理!コレもらってくよ。」と言うと、俺のノートを半ば勝手に持って行った。
まぁ落書き帳の1つや2つくれてやるよ。
今までにそんな事言われた事がなかったので、嬉しかった。
(俺の時代キター!)
そのノートが後で波紋を呼ぶ事になるとは、その時は考えもしなかったが。
ホームルームでは運動会の種目選手を決めていた。
クラス対抗リレー、棒倒し、組み体操など。
(俺は)リレーの選手に選ばれた。
(走るのなら任せなさい。)
というのは、うちのクラスには、まーちゃんとモンリがいる。
うちの学校のNo.1、No.2がいるのに負けるはずがない。二人とも100mを11秒代で走るんだぞ。
区で大会やったって勝てる。
しかも、一人200m。
(俺は得意な距離。)
4人で走るから800m。
まーちゃん、モンリ、I月、俺。の4人で走る事になったのだか、走る順番が当日走る直前まで、決まらなかった。
さあ、運動会、当日、晴天。
気持ちがいい。
(いいトコ見せなくちゃ)
しかし、走る順番が決まっていない。
「なんでもいいんじゃん」とI月。
I月はバスケ部。いつも部活で走ってるから大丈夫だろう。
「ジャンケンで決めよう」と俺。
なにやら、まーちゃんとモンリが1走と2走で揉めている。
「スタートダッシュは俺のほうが早いから俺が1走、走るよ」と、モンリ。
「は?200mもあるんだからあまりスタートは関係ないだろ」と、まーちゃん
二人の言い分は間違ってはいないが。
結局、速さではどちらが走っても1番になるのだから。
「勝てばいいんだから」と俺は言った。
そして、みんな納得した。
どーやら、1走は、まーちゃん。2走はモンリ、
モンリは、まーちゃんに肩パン喰らって、1走を諦めたのだった。
3走は、I月で、アンカー俺。
「I月の所で抜かれたとしても、クズケンの所で抜き返せば勝てんだろ?」とモンリ。
(アンカーは嫌だな)
と思ったが。
これがベストの選択だ。
いよいよリレーが始まる。
担任のS井が来た。
「お前らのメンツで勝てなかったら、カッコ悪いからなぁ?」と言った。
すると、まーちゃんが、「リレーは舐めたら負ける。勝負事はわからん」
急に真面目になった。
そうだ。去年の総体、俺は補欠だったが、都の400mのリレー決勝で、1位だったが、テイクオーバーゾーンを出て、失格になって関東大会出れなかったのを思い出した。
みんな黙った。
「これは運動会だからさ、楽しくやろうぜ」と俺は言ったが、
モンリ「やるからには勝たなきゃしょうがねぇの」と。
(この負けず嫌いがぁ)
少し緊張してきた。ヤバい。
すると、I月が「賭けしようぜ!」と。
「俺達負けたら、坊主頭。勝ったら、S井先生、ヒゲもらいます」
「どお?先生?」
S井は「お前ら絶対勝つだろ!」と言ったが、
みんなシカトして、競技の召集場所にむかった。
I月の提案に緊張が吹き飛んだ。(やはりコイツは猿だ、ありがとよ)
1走は、まーちゃん。
号砲が鳴り、スタートした、と思ったが、
「あ、バトン」
誰かが言った。
まーちゃんが、バトン落とした。
「何やってんだ」モンリが少し怒り口調。
しかし、まーちゃんはすぐにバトンを拾い、ラスト50mくらいの所でトップに立った。
「俺に任せろ、貯金作ってきてやる」とモンリはそう言うと、直ぐにコースに立ち、まーちゃんが走って来るのを待った。
(陸上、命って感じ。)
100mのタイムが伸び、12秒4が出た。
200mも24秒5。
(中学2年にしては早いほうだろ。努力はするもんだな。)
部活の方は順調。
他の学校生活はというと、
結構、イケていた。
ある休み時間。
「クズケン、要らないノートとか、なんでもいいからちょうだい!」
って、去年クラスが一緒だったU子ではありませんか。
U子は今は隣の2組。
「なんで?!」と無愛想にスカシタ。
[転校生編参照。]
「同じクラスの子が、クズケンの物、なんか欲しいって!」
(なんだ?遂に俺にもモテ期到来?!)
顔がニヤつき始めるのを必死にこらえた。
「誰?!」って聞いた。
「ナイショ!」とU子。
「人に物あげるんだから、名前教えてくれたっていいだろ」と言ったが、、。
U子は「無理!コレもらってくよ。」と言うと、俺のノートを半ば勝手に持って行った。
まぁ落書き帳の1つや2つくれてやるよ。
今までにそんな事言われた事がなかったので、嬉しかった。
(俺の時代キター!)
そのノートが後で波紋を呼ぶ事になるとは、その時は考えもしなかったが。
ホームルームでは運動会の種目選手を決めていた。
クラス対抗リレー、棒倒し、組み体操など。
(俺は)リレーの選手に選ばれた。
(走るのなら任せなさい。)
というのは、うちのクラスには、まーちゃんとモンリがいる。
うちの学校のNo.1、No.2がいるのに負けるはずがない。二人とも100mを11秒代で走るんだぞ。
区で大会やったって勝てる。
しかも、一人200m。
(俺は得意な距離。)
4人で走るから800m。
まーちゃん、モンリ、I月、俺。の4人で走る事になったのだか、走る順番が当日走る直前まで、決まらなかった。
さあ、運動会、当日、晴天。
気持ちがいい。
(いいトコ見せなくちゃ)
しかし、走る順番が決まっていない。
「なんでもいいんじゃん」とI月。
I月はバスケ部。いつも部活で走ってるから大丈夫だろう。
「ジャンケンで決めよう」と俺。
なにやら、まーちゃんとモンリが1走と2走で揉めている。
「スタートダッシュは俺のほうが早いから俺が1走、走るよ」と、モンリ。
「は?200mもあるんだからあまりスタートは関係ないだろ」と、まーちゃん
二人の言い分は間違ってはいないが。
結局、速さではどちらが走っても1番になるのだから。
「勝てばいいんだから」と俺は言った。
そして、みんな納得した。
どーやら、1走は、まーちゃん。2走はモンリ、
モンリは、まーちゃんに肩パン喰らって、1走を諦めたのだった。
3走は、I月で、アンカー俺。
「I月の所で抜かれたとしても、クズケンの所で抜き返せば勝てんだろ?」とモンリ。
(アンカーは嫌だな)
と思ったが。
これがベストの選択だ。
いよいよリレーが始まる。
担任のS井が来た。
「お前らのメンツで勝てなかったら、カッコ悪いからなぁ?」と言った。
すると、まーちゃんが、「リレーは舐めたら負ける。勝負事はわからん」
急に真面目になった。
そうだ。去年の総体、俺は補欠だったが、都の400mのリレー決勝で、1位だったが、テイクオーバーゾーンを出て、失格になって関東大会出れなかったのを思い出した。
みんな黙った。
「これは運動会だからさ、楽しくやろうぜ」と俺は言ったが、
モンリ「やるからには勝たなきゃしょうがねぇの」と。
(この負けず嫌いがぁ)
少し緊張してきた。ヤバい。
すると、I月が「賭けしようぜ!」と。
「俺達負けたら、坊主頭。勝ったら、S井先生、ヒゲもらいます」
「どお?先生?」
S井は「お前ら絶対勝つだろ!」と言ったが、
みんなシカトして、競技の召集場所にむかった。
I月の提案に緊張が吹き飛んだ。(やはりコイツは猿だ、ありがとよ)
1走は、まーちゃん。
号砲が鳴り、スタートした、と思ったが、
「あ、バトン」
誰かが言った。
まーちゃんが、バトン落とした。
「何やってんだ」モンリが少し怒り口調。
しかし、まーちゃんはすぐにバトンを拾い、ラスト50mくらいの所でトップに立った。
「俺に任せろ、貯金作ってきてやる」とモンリはそう言うと、直ぐにコースに立ち、まーちゃんが走って来るのを待った。
Posted by くず at
05:27
│Comments(0)
2011年01月16日
9、転校生 悪童への道
(そうだ、悪だ、悪。)
自分に言い聞かせていた。
優しい人はいつも損をする。[貧乏くじ編参照。]
(悪に生き、男らしく生きるんだ。
来る物全て薙ぎ倒す。)
そして、アメ横に行き、ドクターマーチンのロウカットを買った。
(高かった!おこずかい叩いた)
最強の武器を手に入れた。
なんと、この靴、つま先に鉄板が内蔵されているのだ。
これで蹴られたら、ひとたまりもないだろう。
更に、鎖の付いたハーレーの皮財布も買った。
髪もバッチリ、学ラン、財布、靴。
攻撃力、防御力、カッコよさ全て揃った。
体力はあるから大丈夫。
しかし、敵がいない?!
まぁいい。
とにかく、そこら辺の硬い物を蹴って威力を確かめていた。
これは、ギブスとは違う。鉄だ。壊れない。
[痛い思い出編参照。]
(俺は)毎日、通勤電車に乗り、登校していた。
電車通い。
満員電車で、足を踏まれても大丈夫。(ドクターマーチンありがとう)
後は、おしくらまんじゅう。
いつものように学校があるO駅で降りた。
ホームから階段を上がって、改札を出るところで、セーラー服を来た女子がいた。
「ん?見ない顔」
「先輩?後輩?」
「違う、スカーフ緑だし、」
「同級生だろ?見た事ないなぁ」
スカーフは学年で色分けされている。俺の学年は緑、男子はクラスショウ、女子はスカーフで見分けがつく。
「誰か待ってるのかなあ?」
俺は通り過ぎて、学校へと向かった。
しかし、可愛かったなあ。女子にしては長身で、ショートカット。色白で薄い顔。
タイプだった。
と学校行くと「転校生が来るってよ」
なんだかなぁー、やっぱりさっきの子だ。
「見に行こうぜ!」とまーちゃん。
「俺はいいよ、さっき駅で見たし。」
さっきの子が見せもんになるのが少し嫌だった。
「可愛かった?」とまーちゃん。
「べつに。」と俺。
反対の事を言った。
俺は少し考えた。
(これは一目惚れか?)
違うクラスだったが、
(あの子、部活入るのかなぁ?)
てな事を考えていた。
その頃、悪に目覚めかけていた(俺は)毎日スカシテいた。
スカスとは愛想がなく、
限りなくクールな感じ。
もちろん、女子とは喋るのをやめた。
学校の窓から、下の人に向かってツバを飛ばす。
トイレで小便してる奴を横から蹴る。
小便を周りの奴にかける、など、イロイロ。
文句言う奴は握力で手を握り潰してやった。
ただ、まーちゃんとトモツグにはずっと勝てなかった。
その頃は成長が早かったのか、学年でも力自慢だった。
それもそのはず、毎日あんなに走ったり、筋トレやってれば誰でも強くなるよ。
学校では、お豆な存在(安全地帯にいる人)になってきた。
自分に言い聞かせていた。
優しい人はいつも損をする。[貧乏くじ編参照。]
(悪に生き、男らしく生きるんだ。
来る物全て薙ぎ倒す。)
そして、アメ横に行き、ドクターマーチンのロウカットを買った。
(高かった!おこずかい叩いた)
最強の武器を手に入れた。
なんと、この靴、つま先に鉄板が内蔵されているのだ。
これで蹴られたら、ひとたまりもないだろう。
更に、鎖の付いたハーレーの皮財布も買った。
髪もバッチリ、学ラン、財布、靴。
攻撃力、防御力、カッコよさ全て揃った。
体力はあるから大丈夫。
しかし、敵がいない?!
まぁいい。
とにかく、そこら辺の硬い物を蹴って威力を確かめていた。
これは、ギブスとは違う。鉄だ。壊れない。
[痛い思い出編参照。]
(俺は)毎日、通勤電車に乗り、登校していた。
電車通い。
満員電車で、足を踏まれても大丈夫。(ドクターマーチンありがとう)
後は、おしくらまんじゅう。
いつものように学校があるO駅で降りた。
ホームから階段を上がって、改札を出るところで、セーラー服を来た女子がいた。
「ん?見ない顔」
「先輩?後輩?」
「違う、スカーフ緑だし、」
「同級生だろ?見た事ないなぁ」
スカーフは学年で色分けされている。俺の学年は緑、男子はクラスショウ、女子はスカーフで見分けがつく。
「誰か待ってるのかなあ?」
俺は通り過ぎて、学校へと向かった。
しかし、可愛かったなあ。女子にしては長身で、ショートカット。色白で薄い顔。
タイプだった。
と学校行くと「転校生が来るってよ」
なんだかなぁー、やっぱりさっきの子だ。
「見に行こうぜ!」とまーちゃん。
「俺はいいよ、さっき駅で見たし。」
さっきの子が見せもんになるのが少し嫌だった。
「可愛かった?」とまーちゃん。
「べつに。」と俺。
反対の事を言った。
俺は少し考えた。
(これは一目惚れか?)
違うクラスだったが、
(あの子、部活入るのかなぁ?)
てな事を考えていた。
その頃、悪に目覚めかけていた(俺は)毎日スカシテいた。
スカスとは愛想がなく、
限りなくクールな感じ。
もちろん、女子とは喋るのをやめた。
学校の窓から、下の人に向かってツバを飛ばす。
トイレで小便してる奴を横から蹴る。
小便を周りの奴にかける、など、イロイロ。
文句言う奴は握力で手を握り潰してやった。
ただ、まーちゃんとトモツグにはずっと勝てなかった。
その頃は成長が早かったのか、学年でも力自慢だった。
それもそのはず、毎日あんなに走ったり、筋トレやってれば誰でも強くなるよ。
学校では、お豆な存在(安全地帯にいる人)になってきた。
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02:55
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2011年01月15日
8、中学2年、憧れに巻き込まれる
あっという間だった。
時間の過ぎるのは、早かった。
中学2年生。
そして、待っていたのは、第2次成長期ってやつだった。
まず、背が伸びた。
(15cmくらいは伸びたんじゃないか?!)
168cm。
スゴイ。
(どーだみたかヤブ医者め!)生い立ち編参照。
朝礼は一気に後ろの方。
「んー、眺め最高!」
(クラス替え、どんなクラスになったかなぁ?)
「2年3組?おー」
「いいんじゃないか?」
「A路は同じクラスじゃないし」
俺の心に春のそよ風が吹いたような気分だった。
「クズケン、3組一緒じゃん」と
陸上部が同じ、まーちゃんだった。
まーちゃんは足が早い。
去年の(中学1年の時)
地区大会の100m走で一位。
都大会では4位だった奴だ。
しかも怪力。
「あ、モンリもいるよ」
コイツも足が早い、地区大会の後に、陸上部に入った奴だが、まーちゃんと同じくらいで走る。
陸上部多いな。
そこへ金ちゃん。
「俺もいっしょ」
また陸上部。
毎日部活で会っているけど、一年間仲良くしようや。
と、担任は転任で来た奴だ。S井先生。
「おい、アイツだよ。なんかギルガメに出て来る、エロい監督いるじゃん、アイツに似てねぇか?」
と、ひーちゃん。
ギルガメとは、当時テレビ東京でやっていた深夜番組で、正式名はギルガメッシュナイトだった。
中学生には刺激が強い内容。
眼鏡に口ヒゲ、頭はハゲかかりオールバック。
「S井かぁ」
「まぁいいや」
とまぁこんな感じでスタートしました。
オシャレにも気を使いだした。
この頃から、ジェル、ムース、整髪料を使い始めた。
女の子に少しでもモテたかったのだ。
付け加えて言うと、うちのクラスの女子は、先輩方を気にいっていた。
「○○先輩カッコいい!」てな感じに。
一番の屈辱は、ラブレターらしき手紙をクラスの女子から先輩に渡すようにと頼まれた事だった。
「陸上部のH本先輩に渡してほしいんだけど?
クズケンよく喋ってるから、すぐ渡せるでしょ、お願い。」と。
確かによく話しはしている、カッコイイのもわかるんだけど、、。
(いつもコイツらどっから見てるんだ?暇人かぁ?怖い、女の執念)
「彼女いるよ」と俺は、普通に言ってしまった。
「え、そうなの誰、誰?」と女子。
(あー、めんどくせー)
「とにかく、渡せばいいんでしょ」と言って部活に行こうとした。
「絶対渡してね」と念を押された。
(渡すだけだ、後は知らんぷり)
H本先輩がいた。「押忍」と声をかけた。
「あのー、H本さん、これ俺のクラスの女子が、。」と預かった手紙を差し出した。
「なんだコレ?」って言われた。
(いや、見ればわかるでしょ、手紙、手紙だよ)
とりあえず、もらってくれたが、ふと、自分の中でやるせないキモチが込み上げてきた。
「H本さん、モテますね。」つい言ってしまった。
思い切り腹を蹴られた。
更に、「いいなー」って。
「うるせえ」
また蹴られた。
もう一丁、「H本さんの事、うちの女子みーんなカッコイイって言ってますよ。」
「モテる男は辛いっすねー」
俺の渾身のひやかし。
蹴りを何発喰らったか。
次の日の朝、教室入るや、昨日の女子たち。
「クズケン、昨日の手紙渡してくれた?」
「渡したけど」と俺。
「あー、良かったー」
「やったね?A子!」
と女子たち。
「A子?」あの手紙はA子からの手紙だったのか?!
俺はA子の事をかわいいなーと思っていた。
「クズケン優しいね!」
(は?!なんだその優しさってのは?)
(そうだ、俺は悪になるぞ)と心に決めたが。
「今度、またお願いしてもいい?」と女子。
「いいよ!」と俺。
反射的に言ってしまった。
(俺は悪になるんじゃなかったのかよ。)
H本先輩に「今度こういう事やったらぶっ飛ばす。」って言われたのを思い出した。
いや、悪だ。俺は悪になるんだ。
(そうだ、モテる奴が悪い。)
問題がくい違って来たような気がしたが、もうなんでもいい気がしてきた。
それからというもの、H本先輩が卒業するまでに、何回蹴られたことか。
時間の過ぎるのは、早かった。
中学2年生。
そして、待っていたのは、第2次成長期ってやつだった。
まず、背が伸びた。
(15cmくらいは伸びたんじゃないか?!)
168cm。
スゴイ。
(どーだみたかヤブ医者め!)生い立ち編参照。
朝礼は一気に後ろの方。
「んー、眺め最高!」
(クラス替え、どんなクラスになったかなぁ?)
「2年3組?おー」
「いいんじゃないか?」
「A路は同じクラスじゃないし」
俺の心に春のそよ風が吹いたような気分だった。
「クズケン、3組一緒じゃん」と
陸上部が同じ、まーちゃんだった。
まーちゃんは足が早い。
去年の(中学1年の時)
地区大会の100m走で一位。
都大会では4位だった奴だ。
しかも怪力。
「あ、モンリもいるよ」
コイツも足が早い、地区大会の後に、陸上部に入った奴だが、まーちゃんと同じくらいで走る。
陸上部多いな。
そこへ金ちゃん。
「俺もいっしょ」
また陸上部。
毎日部活で会っているけど、一年間仲良くしようや。
と、担任は転任で来た奴だ。S井先生。
「おい、アイツだよ。なんかギルガメに出て来る、エロい監督いるじゃん、アイツに似てねぇか?」
と、ひーちゃん。
ギルガメとは、当時テレビ東京でやっていた深夜番組で、正式名はギルガメッシュナイトだった。
中学生には刺激が強い内容。
眼鏡に口ヒゲ、頭はハゲかかりオールバック。
「S井かぁ」
「まぁいいや」
とまぁこんな感じでスタートしました。
オシャレにも気を使いだした。
この頃から、ジェル、ムース、整髪料を使い始めた。
女の子に少しでもモテたかったのだ。
付け加えて言うと、うちのクラスの女子は、先輩方を気にいっていた。
「○○先輩カッコいい!」てな感じに。
一番の屈辱は、ラブレターらしき手紙をクラスの女子から先輩に渡すようにと頼まれた事だった。
「陸上部のH本先輩に渡してほしいんだけど?
クズケンよく喋ってるから、すぐ渡せるでしょ、お願い。」と。
確かによく話しはしている、カッコイイのもわかるんだけど、、。
(いつもコイツらどっから見てるんだ?暇人かぁ?怖い、女の執念)
「彼女いるよ」と俺は、普通に言ってしまった。
「え、そうなの誰、誰?」と女子。
(あー、めんどくせー)
「とにかく、渡せばいいんでしょ」と言って部活に行こうとした。
「絶対渡してね」と念を押された。
(渡すだけだ、後は知らんぷり)
H本先輩がいた。「押忍」と声をかけた。
「あのー、H本さん、これ俺のクラスの女子が、。」と預かった手紙を差し出した。
「なんだコレ?」って言われた。
(いや、見ればわかるでしょ、手紙、手紙だよ)
とりあえず、もらってくれたが、ふと、自分の中でやるせないキモチが込み上げてきた。
「H本さん、モテますね。」つい言ってしまった。
思い切り腹を蹴られた。
更に、「いいなー」って。
「うるせえ」
また蹴られた。
もう一丁、「H本さんの事、うちの女子みーんなカッコイイって言ってますよ。」
「モテる男は辛いっすねー」
俺の渾身のひやかし。
蹴りを何発喰らったか。
次の日の朝、教室入るや、昨日の女子たち。
「クズケン、昨日の手紙渡してくれた?」
「渡したけど」と俺。
「あー、良かったー」
「やったね?A子!」
と女子たち。
「A子?」あの手紙はA子からの手紙だったのか?!
俺はA子の事をかわいいなーと思っていた。
「クズケン優しいね!」
(は?!なんだその優しさってのは?)
(そうだ、俺は悪になるぞ)と心に決めたが。
「今度、またお願いしてもいい?」と女子。
「いいよ!」と俺。
反射的に言ってしまった。
(俺は悪になるんじゃなかったのかよ。)
H本先輩に「今度こういう事やったらぶっ飛ばす。」って言われたのを思い出した。
いや、悪だ。俺は悪になるんだ。
(そうだ、モテる奴が悪い。)
問題がくい違って来たような気がしたが、もうなんでもいい気がしてきた。
それからというもの、H本先輩が卒業するまでに、何回蹴られたことか。
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19:05
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2011年01月15日
7、中学生
学生服。いいねぇ。
着てみたかった学ラン。
思いも新たにとは思ったものの。
やはりA路が少し気になっていた、、。
が、
忘れる事にした。
幸運にも、A路とは違うクラスだったからだ。
しかも、あいつは1組、(俺は)4組。
教室もいい感じに離れている。
そんな事はどうでもいい。
この友達がいない所でどうやっていくかが問題。
部活は何に入ろう?
文化系か運動系?
どっち?
とりあえず、友達作ろう。
初日は自己紹介からだった。名前、出身小学校、好きな事、好きな食べ物。
(んー。恥ずかしいよな)
細かい絡みは覚えてはいないが、前の席のトモツグと仲良くなった。
帰りの電車も同じだった。
彼はサッカー部に入りたかったみたいだが、サッカー部はなかった。
それで、陸上部に入ると言っていた。
私もノリで一緒に入った。
その頃の私は別にとりわけ足が早かったわけではないが、体を動かすのは好きだったので運動系の部活だったら何でも良かった。
このトモツグは昔、体操をやっていたらしい。
バクテン、倒立、逆立ち歩きまでやりやがる。
おまけに力もち、サッカーも上手い。
夏休みに入る頃には、大分学校にも慣れ、私は走りまくりの毎日を送っていた。
A路の事なんて忘れていた。
よくよく考えてみると、小学校の時に比べると平和そのものだよ。
「これが普通なんだな」って思った。
しかし、気がついたら、トモツグは部活辞めていた。
まあしょうがない。
それでも私は、走っていただけではなく、恋もした。
となりの席のR子に。
しかし、好きなのがバレテ気まずくなり、なんか嫌われたというか、避けられた感じになってしまい。
早くも青春が終わってしまったかのように思えた
が、しかし、女の子はたくさんいる。
きっと(俺にも)いい子がいると思うようにした。
とある日、学校に行くと、「クズケンおはよう??」って
え、小学校の時に呼ばれてたあだ名「なんで?しってんの?」
始めはわからなかった。
A路の存在をすっかり忘れていた。
アイツか。
「にゃろー」
(中学に入って、クズ君って呼ばれる事に喜びを覚えていたのによー)
アイツのクラスまで休み時間に行った。
「よぉーひさしぶりぎゃないかぁ」とA路。
今まで伏せていたが、アイツの喋りは滑舌が悪い。しかも全身アトピーがひどいんだ。
何故かアイツは(俺)にはいつも偉そうなんだ。
「てめぇいつからそんなに偉そうになったんだ」と言って、思い切り
馬場チョップ食らわした。
廊下に出て(俺は)クラスに戻ろうとすると、笑いながら、A路が追いかけてくる。
何かキモチ悪いなぁと思って逃げた。
まだ追いかけてくる、チャイムが鳴った、(ヤバイ)
授業が始まる。
(俺の)クラスの所でわざと捕まってやった。
妙に嬉しそうなのが、キモチ悪い、
「おめぇよ〜」とA路
「なんだ?バカ」と(俺)
「なんでもにぇーよ」A路
(なんでもねーのに追いかけてくんなよ)
やはり笑ってる?!
とそこにA先生が来た。
(数学のうるさいおばちゃん先生。生活指導で、A路の担任だったなー。)
「A路何やってる、またイジメられてるの?」
と先生。
(俺)「はぁ?」
「君は?」と先生に聞かれた。
4組のクズOです。
「いいからちょっと来なさい」と先生。
「なんで?」
職員室まで呼ばれ、「何してた?」
と先生に聞かれた。
(俺は)「A路に追いかけられてました。」
と答えた。
A路は「クズOにぶちゃれたからやり返しょうとしておいかけみゃした」
「ていうかお前、ちゃんと日本語しゃべれ」と俺はムカついて言った。
A先生が疑った目でA路をみて、「お前は本当にクズOにイジメられてないんだな?」と聞く。
「ひゃい」(はい)
先生はまた俺に聞く。
「クズOはなんでA路を知ってるんだ?違うクラスだろ?」
(まだ疑ってるよ)
俺「小学校が一緒です。」
先生「え、そうなの、フーン。」
「ゴメン、ゴメン」
「じゃ行っていいよ」
(何だよ)
二人で職員室を出た。
またA路のせいで貧乏くじを引く羽目になったのだ。
この時知った、A路はクラスでイジメにあってる事を。
なんかイライラするので、
とりあえず、もう一発馬場チョップ食らわして逃げた。
着てみたかった学ラン。
思いも新たにとは思ったものの。
やはりA路が少し気になっていた、、。
が、
忘れる事にした。
幸運にも、A路とは違うクラスだったからだ。
しかも、あいつは1組、(俺は)4組。
教室もいい感じに離れている。
そんな事はどうでもいい。
この友達がいない所でどうやっていくかが問題。
部活は何に入ろう?
文化系か運動系?
どっち?
とりあえず、友達作ろう。
初日は自己紹介からだった。名前、出身小学校、好きな事、好きな食べ物。
(んー。恥ずかしいよな)
細かい絡みは覚えてはいないが、前の席のトモツグと仲良くなった。
帰りの電車も同じだった。
彼はサッカー部に入りたかったみたいだが、サッカー部はなかった。
それで、陸上部に入ると言っていた。
私もノリで一緒に入った。
その頃の私は別にとりわけ足が早かったわけではないが、体を動かすのは好きだったので運動系の部活だったら何でも良かった。
このトモツグは昔、体操をやっていたらしい。
バクテン、倒立、逆立ち歩きまでやりやがる。
おまけに力もち、サッカーも上手い。
夏休みに入る頃には、大分学校にも慣れ、私は走りまくりの毎日を送っていた。
A路の事なんて忘れていた。
よくよく考えてみると、小学校の時に比べると平和そのものだよ。
「これが普通なんだな」って思った。
しかし、気がついたら、トモツグは部活辞めていた。
まあしょうがない。
それでも私は、走っていただけではなく、恋もした。
となりの席のR子に。
しかし、好きなのがバレテ気まずくなり、なんか嫌われたというか、避けられた感じになってしまい。
早くも青春が終わってしまったかのように思えた
が、しかし、女の子はたくさんいる。
きっと(俺にも)いい子がいると思うようにした。
とある日、学校に行くと、「クズケンおはよう??」って
え、小学校の時に呼ばれてたあだ名「なんで?しってんの?」
始めはわからなかった。
A路の存在をすっかり忘れていた。
アイツか。
「にゃろー」
(中学に入って、クズ君って呼ばれる事に喜びを覚えていたのによー)
アイツのクラスまで休み時間に行った。
「よぉーひさしぶりぎゃないかぁ」とA路。
今まで伏せていたが、アイツの喋りは滑舌が悪い。しかも全身アトピーがひどいんだ。
何故かアイツは(俺)にはいつも偉そうなんだ。
「てめぇいつからそんなに偉そうになったんだ」と言って、思い切り
馬場チョップ食らわした。
廊下に出て(俺は)クラスに戻ろうとすると、笑いながら、A路が追いかけてくる。
何かキモチ悪いなぁと思って逃げた。
まだ追いかけてくる、チャイムが鳴った、(ヤバイ)
授業が始まる。
(俺の)クラスの所でわざと捕まってやった。
妙に嬉しそうなのが、キモチ悪い、
「おめぇよ〜」とA路
「なんだ?バカ」と(俺)
「なんでもにぇーよ」A路
(なんでもねーのに追いかけてくんなよ)
やはり笑ってる?!
とそこにA先生が来た。
(数学のうるさいおばちゃん先生。生活指導で、A路の担任だったなー。)
「A路何やってる、またイジメられてるの?」
と先生。
(俺)「はぁ?」
「君は?」と先生に聞かれた。
4組のクズOです。
「いいからちょっと来なさい」と先生。
「なんで?」
職員室まで呼ばれ、「何してた?」
と先生に聞かれた。
(俺は)「A路に追いかけられてました。」
と答えた。
A路は「クズOにぶちゃれたからやり返しょうとしておいかけみゃした」
「ていうかお前、ちゃんと日本語しゃべれ」と俺はムカついて言った。
A先生が疑った目でA路をみて、「お前は本当にクズOにイジメられてないんだな?」と聞く。
「ひゃい」(はい)
先生はまた俺に聞く。
「クズOはなんでA路を知ってるんだ?違うクラスだろ?」
(まだ疑ってるよ)
俺「小学校が一緒です。」
先生「え、そうなの、フーン。」
「ゴメン、ゴメン」
「じゃ行っていいよ」
(何だよ)
二人で職員室を出た。
またA路のせいで貧乏くじを引く羽目になったのだ。
この時知った、A路はクラスでイジメにあってる事を。
なんかイライラするので、
とりあえず、もう一発馬場チョップ食らわして逃げた。
Posted by くず at
09:53
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2011年01月15日
6、A路との絡み、痛い思い出
小学校を卒業する間際に、私の行く中学にA路も行く事になっている事を知った。
(マジかよ)
A路も小学1年から同じクラスだったよな。
そういえば、A路の家は接骨院だった。
昔、A路の親父に随分痛い目に合わされた記憶が蘇る。
それは小学1年の時
私が家でサッカーボールの上に乗って、玉乗りの練習してたら、ひっくり返って、転んだ。
腕が痛い。
その痛い腕が曲がらない?
(超痛いぞ!)
痛過ぎて倒れていた。
一人で遊んでいたので、助けがいない。
でも痛い、何も出来ない。
そこへ看護婦さん。
「ケンちゃん、どうしたの?」
神様、仏様、看護婦様
何故看護婦さんがそこに居て、
私の名前を知っていたのかは後で説明することにして。
倒れている私を起こしてくれた。
家に帰ろう。
帰ったら、母に「なんで」と怒られた。
(転んだって言っただろ)
腕が曲がらないので、A路の家の接骨院に行く事になったのだが、
この後が、もっと痛かった。
「折れてますね」とA路の親父。
「お母さん暴れ無いように抑えてて下さい。」
「え、マジ?!」
「何やんの?!」
腕を引っ張る、引っ張る
腕がちぎれるかと思った。
泣きじゃくった。
湿布貼って首から布かけて腕を固定して帰った。
それから数日痛かった。
そして、母にまた、「痛い」と言った。
また「なんで?」と怒ってる?
「知るか?」痛いに理由なんかあるか?と思った。
次は病院に行った。
医者の先生は「痛かったでしょう」とギブスを私の腕に巻いてくれた。
そのギブスが温かく心地好くやっと、ほっとした。
(A路の親父ヤブだったのか?)
と少しムカついた。
次の日、(俺は)ギブスを身につけ、最強だと、朝、友達に腕をぶたれて確信した。
(これは使える)
机を殴っても痛くないし、ビクトもしない。
戦闘力がかなり上がった。
そこへA路がきた。
「この前クズケンが家に来て泣きまくってたよ」
と、みんなの前で言う。
A路に会ったら、このギブスで殴ってやろうと思っていた所だった。
と、頭を思いっきり殴ってやった。
2、3発いきたかったが、一発で泣き出した。
やめて逃げた。
(俺の)復讐は終わった。
その日から壁を殴ったりそこら辺の硬い物全て殴って歩いていた。
ある日学級会があり日直だったので司会だった。
そこでみんながうるさいので机をガンガン叩いて静めようとしたら、「あれ?、割れた?」
ギブスが割れた。
「ん?!」
腕が動いてしまう。
まだ少し痛い。
家に帰って母に言った。
「どうしたの?コレ」
私は「なんか、割れた」
珍しく怒っていなかったが、病院にいったら、医者の先生に怒られた。
「治りが遅くなってもいいの?」
「割る人見たことないよ」と言っていた。
次は割らない約束をした。
さっき、腕を折った時、看護婦さんに助けられたと言ったが、実は生まれてから、10年程、親父の仕事の関係で精神科の病院の社宅に住んでいた。
その敷地内で遊んでいたからだ。
だから、みんな私を知っている。
少し、変わった人もたくさんいたが、看護婦さんが歩いていたのは、病院の中だったからである。
骨折は整形外科なので、もちろん他の病院。
ケガはコレだけではなかった。
急いで小便しようとして、○○をチャックに挟んで、病院。
ブランコから転落、頭2針縫う。
顔面、机に当てて眉間を3針縫う。
結構痛かった。
顔面縫った時は血まみれだったから学校のみんなは「あいつ死ぬ」って言っていたらしい。
痛い思い出。
「またA路と中学まで絡むなんて、、」
(マジかよ)
A路も小学1年から同じクラスだったよな。
そういえば、A路の家は接骨院だった。
昔、A路の親父に随分痛い目に合わされた記憶が蘇る。
それは小学1年の時
私が家でサッカーボールの上に乗って、玉乗りの練習してたら、ひっくり返って、転んだ。
腕が痛い。
その痛い腕が曲がらない?
(超痛いぞ!)
痛過ぎて倒れていた。
一人で遊んでいたので、助けがいない。
でも痛い、何も出来ない。
そこへ看護婦さん。
「ケンちゃん、どうしたの?」
神様、仏様、看護婦様
何故看護婦さんがそこに居て、
私の名前を知っていたのかは後で説明することにして。
倒れている私を起こしてくれた。
家に帰ろう。
帰ったら、母に「なんで」と怒られた。
(転んだって言っただろ)
腕が曲がらないので、A路の家の接骨院に行く事になったのだが、
この後が、もっと痛かった。
「折れてますね」とA路の親父。
「お母さん暴れ無いように抑えてて下さい。」
「え、マジ?!」
「何やんの?!」
腕を引っ張る、引っ張る
腕がちぎれるかと思った。
泣きじゃくった。
湿布貼って首から布かけて腕を固定して帰った。
それから数日痛かった。
そして、母にまた、「痛い」と言った。
また「なんで?」と怒ってる?
「知るか?」痛いに理由なんかあるか?と思った。
次は病院に行った。
医者の先生は「痛かったでしょう」とギブスを私の腕に巻いてくれた。
そのギブスが温かく心地好くやっと、ほっとした。
(A路の親父ヤブだったのか?)
と少しムカついた。
次の日、(俺は)ギブスを身につけ、最強だと、朝、友達に腕をぶたれて確信した。
(これは使える)
机を殴っても痛くないし、ビクトもしない。
戦闘力がかなり上がった。
そこへA路がきた。
「この前クズケンが家に来て泣きまくってたよ」
と、みんなの前で言う。
A路に会ったら、このギブスで殴ってやろうと思っていた所だった。
と、頭を思いっきり殴ってやった。
2、3発いきたかったが、一発で泣き出した。
やめて逃げた。
(俺の)復讐は終わった。
その日から壁を殴ったりそこら辺の硬い物全て殴って歩いていた。
ある日学級会があり日直だったので司会だった。
そこでみんながうるさいので机をガンガン叩いて静めようとしたら、「あれ?、割れた?」
ギブスが割れた。
「ん?!」
腕が動いてしまう。
まだ少し痛い。
家に帰って母に言った。
「どうしたの?コレ」
私は「なんか、割れた」
珍しく怒っていなかったが、病院にいったら、医者の先生に怒られた。
「治りが遅くなってもいいの?」
「割る人見たことないよ」と言っていた。
次は割らない約束をした。
さっき、腕を折った時、看護婦さんに助けられたと言ったが、実は生まれてから、10年程、親父の仕事の関係で精神科の病院の社宅に住んでいた。
その敷地内で遊んでいたからだ。
だから、みんな私を知っている。
少し、変わった人もたくさんいたが、看護婦さんが歩いていたのは、病院の中だったからである。
骨折は整形外科なので、もちろん他の病院。
ケガはコレだけではなかった。
急いで小便しようとして、○○をチャックに挟んで、病院。
ブランコから転落、頭2針縫う。
顔面、机に当てて眉間を3針縫う。
結構痛かった。
顔面縫った時は血まみれだったから学校のみんなは「あいつ死ぬ」って言っていたらしい。
痛い思い出。
「またA路と中学まで絡むなんて、、」
Posted by くず at
07:10
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2011年01月15日
5、卒業、 、 なんで?
小学生生活もなかなか面白いものだった。
○○が好きだの、○○ぶっ飛ばしただの、どーの、こーの。
思えば4年生の頃、初恋と言うべきなのか、家が家具屋やってた、ETさんの事、なんか好きだった。
頭良くて、真面目で、スポーツ万能。
話しがしたくて、どうしようか考えたっけなぁ?
そういえば、四谷大塚だの、トウ杏学園だの、っていう感じで中学受験の話しが盛り上がっていて、その話しに混ざりたくて、親に進学塾に通わせてくれって言ったっけなぁ。
その為だけに勉強したけど、成績は良くなったが、結局ETさんとは緊張してあまり話せなかった。
途中まで、中学受験しようと思っていたが、止めて、普通に地元の中学に行こうと思っていた。
がしかし、何やら様子がおかしい。
小学6年の
ある日、母に連れられて、電車に乗り、O駅で降り、学校らしい建物に入った。
ん、受付?!
越境入学?
なんなのか?んー?
会議室のような部屋の前で待ち、名前が呼ばれた。
先生のような人がいて、母となにやら訳のわからない事を話している。
「通学は心配ありません、この子は電車には慣れていますので」と母。
そこで何と無くわかってきた。
自分の意思で中学受験はしないと、母とケンカしたが、そこでは親父が、
「こいつが受験はしないって言っているんだから、いいんじゃないか。」
と言ってくれたので助かったが。
まだ何か企んでいたのか!
とりあえず、黙って席に座り、終わるのを待っていた。
学校を出て、帰り道、「来年からここの中学に通う事になるから」と母がそう言った。
やはりな。
とりあえず、シカトを決め込んだ。
電車に乗り、母とは話しはしなかった。
「何故、地元の中学じゃダメなんだ!!」
私は家に帰って爆発した。
地元の中学は不良で有名だった。それに荒れに荒れて昔テレビに出たほどだった。
しかし、小学校の友達はみんなその中学に行くし、今までだって、危ない橋は渡ってきた。
「もう決まってるから」
と母。
私はふて寝した。
次の日は日曜日だった。
母とは顔も合わしたくなければ、話しもしたくない。
昼くらいになって、「ご飯よー」と母の声。
シカト。
しかし、昨日もふて寝して夕食も食べていない。
どうにも腹が減ってきた。
妹が、「食べないの?」
私は「うるせぇ、黙れ」
妹「じゃ、食べちゃうよ」
ぶっ飛ばしたい気分だったが、妹に当たってもしょうがない。
(ちくしょう)
あ、机の中にビックリマンチョコ開けてないやつがあったんだ!
あったのは1つ。
美味しかった。
しかし、イライラした。
とにかく寝よう。
夕方までなんとかドラゴンボールのマンガを見て凌いだ。
「バタン」扉の音だ。
(うちのババーと妹どっか行きやがったな)
やったぞ!
自分の部屋から出て冷蔵庫に。卵とご飯さえあれば、と冷蔵庫を開けると、、調味料や冷凍肉やら、すぐに食べられそうなものがない。
思わず、
「クソババアー」と叫んだ。
その後直ぐに意気消沈した。腹が減った。
「バタン」扉の音、
私は直ぐに部屋に戻った。
(あ、この足音は親父だ。)
とりあえず、ふて寝だ。
私の部屋の戸を開ける音、「おい、お前飯食ったか?寝てんのか?おー?」
「ん、食ってねーよ」
「じゃあ食いに行くか?」と親父。
(おー!待ってましたーその一言を)
と思いながらも不機嫌そうな顔をし続けた。
調子のいい奴だとは思われたくないからだ。
親父「そばでも食うか?」
「いつもだろ、俺はいつもうどんって言ってんだろ」と私。
結局、そば屋に行ってもうどんはあるが、大体いつもこんな台詞が二人の間で交わされる。
私はお腹一杯食べてやった。
と帰り道、
「お前、O中に行きたくないのか?
受験する訳じゃないんだし、言う通りにすれば?」と親父。
お腹一杯になったら、さっきまでの事なんかどうでも良くなってきた。
「そうだな」と言ってしまった。
母にはいつまでシカト決め込んだかは忘れたが、
小学校を卒業して、中学に上がった訳ですが、違う区の中学なんて一人も知ってる奴なんていないのが普通。
やっていけるのか?
まぁ幼稚園から小学校に上がった時も5人くらいしか友達いなかったし大丈夫かなーとは思っていた。
○○が好きだの、○○ぶっ飛ばしただの、どーの、こーの。
思えば4年生の頃、初恋と言うべきなのか、家が家具屋やってた、ETさんの事、なんか好きだった。
頭良くて、真面目で、スポーツ万能。
話しがしたくて、どうしようか考えたっけなぁ?
そういえば、四谷大塚だの、トウ杏学園だの、っていう感じで中学受験の話しが盛り上がっていて、その話しに混ざりたくて、親に進学塾に通わせてくれって言ったっけなぁ。
その為だけに勉強したけど、成績は良くなったが、結局ETさんとは緊張してあまり話せなかった。
途中まで、中学受験しようと思っていたが、止めて、普通に地元の中学に行こうと思っていた。
がしかし、何やら様子がおかしい。
小学6年の
ある日、母に連れられて、電車に乗り、O駅で降り、学校らしい建物に入った。
ん、受付?!
越境入学?
なんなのか?んー?
会議室のような部屋の前で待ち、名前が呼ばれた。
先生のような人がいて、母となにやら訳のわからない事を話している。
「通学は心配ありません、この子は電車には慣れていますので」と母。
そこで何と無くわかってきた。
自分の意思で中学受験はしないと、母とケンカしたが、そこでは親父が、
「こいつが受験はしないって言っているんだから、いいんじゃないか。」
と言ってくれたので助かったが。
まだ何か企んでいたのか!
とりあえず、黙って席に座り、終わるのを待っていた。
学校を出て、帰り道、「来年からここの中学に通う事になるから」と母がそう言った。
やはりな。
とりあえず、シカトを決め込んだ。
電車に乗り、母とは話しはしなかった。
「何故、地元の中学じゃダメなんだ!!」
私は家に帰って爆発した。
地元の中学は不良で有名だった。それに荒れに荒れて昔テレビに出たほどだった。
しかし、小学校の友達はみんなその中学に行くし、今までだって、危ない橋は渡ってきた。
「もう決まってるから」
と母。
私はふて寝した。
次の日は日曜日だった。
母とは顔も合わしたくなければ、話しもしたくない。
昼くらいになって、「ご飯よー」と母の声。
シカト。
しかし、昨日もふて寝して夕食も食べていない。
どうにも腹が減ってきた。
妹が、「食べないの?」
私は「うるせぇ、黙れ」
妹「じゃ、食べちゃうよ」
ぶっ飛ばしたい気分だったが、妹に当たってもしょうがない。
(ちくしょう)
あ、机の中にビックリマンチョコ開けてないやつがあったんだ!
あったのは1つ。
美味しかった。
しかし、イライラした。
とにかく寝よう。
夕方までなんとかドラゴンボールのマンガを見て凌いだ。
「バタン」扉の音だ。
(うちのババーと妹どっか行きやがったな)
やったぞ!
自分の部屋から出て冷蔵庫に。卵とご飯さえあれば、と冷蔵庫を開けると、、調味料や冷凍肉やら、すぐに食べられそうなものがない。
思わず、
「クソババアー」と叫んだ。
その後直ぐに意気消沈した。腹が減った。
「バタン」扉の音、
私は直ぐに部屋に戻った。
(あ、この足音は親父だ。)
とりあえず、ふて寝だ。
私の部屋の戸を開ける音、「おい、お前飯食ったか?寝てんのか?おー?」
「ん、食ってねーよ」
「じゃあ食いに行くか?」と親父。
(おー!待ってましたーその一言を)
と思いながらも不機嫌そうな顔をし続けた。
調子のいい奴だとは思われたくないからだ。
親父「そばでも食うか?」
「いつもだろ、俺はいつもうどんって言ってんだろ」と私。
結局、そば屋に行ってもうどんはあるが、大体いつもこんな台詞が二人の間で交わされる。
私はお腹一杯食べてやった。
と帰り道、
「お前、O中に行きたくないのか?
受験する訳じゃないんだし、言う通りにすれば?」と親父。
お腹一杯になったら、さっきまでの事なんかどうでも良くなってきた。
「そうだな」と言ってしまった。
母にはいつまでシカト決め込んだかは忘れたが、
小学校を卒業して、中学に上がった訳ですが、違う区の中学なんて一人も知ってる奴なんていないのが普通。
やっていけるのか?
まぁ幼稚園から小学校に上がった時も5人くらいしか友達いなかったし大丈夫かなーとは思っていた。
Posted by くず at
04:26
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2011年01月15日
4、闘いの結末、貧乏くじ
そう、みんなあの時達成感に満ち溢れていたはずだ。
と、Mが抵抗を止め、みんながMから離れた。
Mは起き上がり、一呼吸置いて、「おまえら、わかったな、ケンカはこういう風に止めるんだ」と。
結局、授業をやらずに言いたかったのはコレか。
ケンカを止める為のレクチャー。
「次からはケンカは止めるように」とM。
Mはなんだか、自己満に浸っているようだ。
熱血教師なんだ。
しかし、これを教わって後で後悔する事になるとは思ってもいなかった。
そう、大半の奴は後悔したに違いない。
あれは図工の時間、彫刻の授業。
吉本の芸人ホンコンに似てるO塚だ。
奴と今ちゃんが何やら言い争っている。
あ、椅子投げた。
嫌な予感がした。
やっぱり始まった。と、
Mのレクチャーを思い出した。
(なんて事だ、止めないとMになんて言われるかわかったもんじゃない。)
ちょっと考えた、
(男子18人もいるんだから、俺がわざわざ止めなくても、誰か止めんだろ。)
げ、彫刻刀持ってる?!
ホンコン、てめえ武器は無しだろ。
みんな退いてるよ。
いや、止めないとMにやられる。
考えてるヒマはない。今ちゃんが刺されたらマズイ。小学1年から同じクラスだし、サッカー仲間だ。
マズイ、マズイ。
その二人を囲うように円になっている。
N田さんが、Mを呼びに教室を飛び出した。
んー、よしMが来たら大丈夫だ。間に合うか?
いや、やはり止めないと後が怖い、
すると、O塚が背中を向けた、よし今だ、
とにかく、彫刻刀を持ってる、右手を何とか、、。
右手を掴んだ。この手を下に下げて、、。
げ、テレビの刑事モノみたいにいかない。
そこに応援がきた、オガちゃんだ。
私とオガちゃんで右手を持ち、動かなくした。
反対側はマコりんが、O塚の左手を関節技で背中にやり、よし、後は彫刻刀を。
と、しんちゃんが木の椅子を持ってきた。
そして、O塚の右手めがけて振り下ろした。
え、「それ俺の手」
超痛かった。
もう一度、見事O塚の右手にモロに入り、彫刻刀を落とした。
騒ぎがおさまり
そして、Mがやっときた。
当事者のO塚と今ちゃんを連れていき、
私は保健室で手を冷やす事になった。
それだけではなかった。
その日は晴天で風が暖かく気持ちのよい日で、
昼休みに教室で、昼寝していたら、T山が、A路がふざけてケンカゴッコしていると、思ったが、本気になっている?!
一方的にA路が殴られてる?!
(まいったぞ!昼休みだからみんなサッカーしに校庭に行っちゃってるしなぁ!)
とりあえず、止めなくちゃ!
と「Tちゃんやめろよー!」
私は後ろからT山の肩に手をやり止めようとした。
しかし、T山は振り向き、私の襟首をつかみ、「おまえには関係ないだろ」と一発私の頬にパンチ。
私は床に倒れたが、「あれ、あんまり痛くない。」
そうだった、漢字練習の宿題やんなかった時のMの必殺ゲンコツに比べたら全然痛くない。
しかし、なんだか、いつも貧乏くじをひくような気分。
「なんか、腹立ってきた」
自分の中で何かがキレるというか、世にいうキレるとはこういう事なのか?
T山は私を殴った後でA路をまた教室の隅で羽交い締めにしている。
「にゃろー」
私は
そこへ走って飛び蹴りを入れ、T山を倒し、顔面に数発入れてやった。
T山は、まだ「何だよ」とか言っていたので、腹に蹴りを数発入れた。
気が付くとT山は泣いていた、が、
また女子がMを呼びにいったのか、Mがきた。
いや、私は被害者のハズだった。
もしかして、加害者と被害者が入れ替わってる?と気付いた時には遅かった。
職員室に連れていかれた。
そして、理由を説明したのに、Mの必殺ゲンコツを2発も喰らった。
悔しさとゲンコツの痛みで涙がでた。
結局また貧乏くじを引いてしまった。
後で、A路が「クズケンありがとう」とは言ってはくれたが、私は「うるせぇ、自分の身は自分で守れ、バカヤロー」と言ってしまった。
この後A路と私は中学まで一緒になるとは思ってもいなかった。
と、Mが抵抗を止め、みんながMから離れた。
Mは起き上がり、一呼吸置いて、「おまえら、わかったな、ケンカはこういう風に止めるんだ」と。
結局、授業をやらずに言いたかったのはコレか。
ケンカを止める為のレクチャー。
「次からはケンカは止めるように」とM。
Mはなんだか、自己満に浸っているようだ。
熱血教師なんだ。
しかし、これを教わって後で後悔する事になるとは思ってもいなかった。
そう、大半の奴は後悔したに違いない。
あれは図工の時間、彫刻の授業。
吉本の芸人ホンコンに似てるO塚だ。
奴と今ちゃんが何やら言い争っている。
あ、椅子投げた。
嫌な予感がした。
やっぱり始まった。と、
Mのレクチャーを思い出した。
(なんて事だ、止めないとMになんて言われるかわかったもんじゃない。)
ちょっと考えた、
(男子18人もいるんだから、俺がわざわざ止めなくても、誰か止めんだろ。)
げ、彫刻刀持ってる?!
ホンコン、てめえ武器は無しだろ。
みんな退いてるよ。
いや、止めないとMにやられる。
考えてるヒマはない。今ちゃんが刺されたらマズイ。小学1年から同じクラスだし、サッカー仲間だ。
マズイ、マズイ。
その二人を囲うように円になっている。
N田さんが、Mを呼びに教室を飛び出した。
んー、よしMが来たら大丈夫だ。間に合うか?
いや、やはり止めないと後が怖い、
すると、O塚が背中を向けた、よし今だ、
とにかく、彫刻刀を持ってる、右手を何とか、、。
右手を掴んだ。この手を下に下げて、、。
げ、テレビの刑事モノみたいにいかない。
そこに応援がきた、オガちゃんだ。
私とオガちゃんで右手を持ち、動かなくした。
反対側はマコりんが、O塚の左手を関節技で背中にやり、よし、後は彫刻刀を。
と、しんちゃんが木の椅子を持ってきた。
そして、O塚の右手めがけて振り下ろした。
え、「それ俺の手」
超痛かった。
もう一度、見事O塚の右手にモロに入り、彫刻刀を落とした。
騒ぎがおさまり
そして、Mがやっときた。
当事者のO塚と今ちゃんを連れていき、
私は保健室で手を冷やす事になった。
それだけではなかった。
その日は晴天で風が暖かく気持ちのよい日で、
昼休みに教室で、昼寝していたら、T山が、A路がふざけてケンカゴッコしていると、思ったが、本気になっている?!
一方的にA路が殴られてる?!
(まいったぞ!昼休みだからみんなサッカーしに校庭に行っちゃってるしなぁ!)
とりあえず、止めなくちゃ!
と「Tちゃんやめろよー!」
私は後ろからT山の肩に手をやり止めようとした。
しかし、T山は振り向き、私の襟首をつかみ、「おまえには関係ないだろ」と一発私の頬にパンチ。
私は床に倒れたが、「あれ、あんまり痛くない。」
そうだった、漢字練習の宿題やんなかった時のMの必殺ゲンコツに比べたら全然痛くない。
しかし、なんだか、いつも貧乏くじをひくような気分。
「なんか、腹立ってきた」
自分の中で何かがキレるというか、世にいうキレるとはこういう事なのか?
T山は私を殴った後でA路をまた教室の隅で羽交い締めにしている。
「にゃろー」
私は
そこへ走って飛び蹴りを入れ、T山を倒し、顔面に数発入れてやった。
T山は、まだ「何だよ」とか言っていたので、腹に蹴りを数発入れた。
気が付くとT山は泣いていた、が、
また女子がMを呼びにいったのか、Mがきた。
いや、私は被害者のハズだった。
もしかして、加害者と被害者が入れ替わってる?と気付いた時には遅かった。
職員室に連れていかれた。
そして、理由を説明したのに、Mの必殺ゲンコツを2発も喰らった。
悔しさとゲンコツの痛みで涙がでた。
結局また貧乏くじを引いてしまった。
後で、A路が「クズケンありがとう」とは言ってはくれたが、私は「うるせぇ、自分の身は自分で守れ、バカヤロー」と言ってしまった。
この後A路と私は中学まで一緒になるとは思ってもいなかった。
Posted by くず at
01:42
│Comments(1)
2011年01月13日
3、生い立ち、そして鬼教師 M
私が生まれたのは昭和54年の11月6日
B型
さそり座
出生時の身長は確か50センチ、
体重1.8kg
だったと思う。
生まれた時の身長と体重を良く知っていると、疑問に思うかもしれないが、小学校の授業でこのような発表をするという課題があり、覚えているのである。
付け加えて言うと、私は生まれてきた時に3度、死にかけたらしい。
母が輸血とか保育器がどうのとか言っていた。
未熟児で生まれたもんで、医者に「一生小さいかもしれません」と
言われたとも母は言っていた。
今日の医学は進歩していて、1kg以下でもまぁ生きていられるようだ。
母は医者にそんな事を言われたもので、焦ったらしい。
まぁ自分の子供が一生小さいってのは嫌だろう。
てな感じで、私が保育器から出て間もなく大きくなる為の特訓をしたそうです。
それと、私の名前は健康にちなんだ名前。
その特訓とは、他の生まれたばかりの子が離乳食を食べている時期に、私は普通の食べ物を食べさせられていたこと。
当然、消化できるわけもなく、モドしていたそうです。
それの繰り返し。
ある意味、虐待。
4歳からサッカーを習い、5歳でスイミングにも通い、8歳でピアノ、合唱団、塾通い。
おかげで前にも言ったように、172センチまでに成長した。
※(ヤブでよかった。)
ありがとう。
おまけに言えば、小学校の時に既に一人で電車に乗って、東は千葉、西は八王子、北は川口、南は川崎にまで行っていた。
小さい頃は誰でもこわいもの知らずだと思うが、
だだ一つ恐れていたものがある。
鬼教師のM先生だ!
このお方はハンパじゃない。
おまけに元ラガーマン。
私のクラスは毎日ケンカが絶えない。
もちろん、殴り合い。血を見る事もしばしば。
(東京でも治安の悪さは昔から3本には入るところ)
そんなの毎日見てると、そのうち周りもケンカを止めようなんて思わなくなる。
そんな時、担任があのお方Mだった。
担任の授業ではない、音楽、図工が一番ケンカ勃発率が100%を越える。
100%を越えるというのは、1回ではない、という事だ。
音楽の授業だった、始まった、あーあ、また始まった。
音楽の先生が止めに入り、とりあえず、休戦。
その後が酷かった。
担任がそれを聞いたのか、次の授業に凄い顔して教室に入ってきた。
もちろん、授業なんかしない。ケンカした当事者二人呼び出され、ケンカの理由をあのお方に聞かれている。
みんなあのMの前では、借りてきた猫になる。
しかし、あのMの前でまた言い争いになり、つかみ合いが、始まった途端二人は吹っ飛ばされていた。
タックルだ。
Mの必殺技の一つ。
その他にも、にぎり一発、ウメボシ、一本背負い、突っ張りなどがある。
私たちは小学生、体重がないから、2メートルくらいは飛ばされる。
するとMは
「そうだ、男子は立って一列にならべ」
そう言うと、少し離れた場所に立ち、こちらを睨みつけ、「お前たち男子全員で、俺を止めてみろ」
なんて、
「この人何いっちゃってんの?」って感じだったが、やらないとやらないでMの機嫌が悪くなるのは、みんな知っていたので、小さな声で「セーの」で飛びかかった。
みんな手を抜いていた。
それがMにはわかったのか、Mにつかみかかった奴から跳ね飛ばしていく。
私も飛ばされた。
私は周りの男子を見渡した。みんな「どうしたらいいんだよ」って目をしてる。
しかし、一人「ふざけんな」って目をしている。
オガちゃんだ。
みんな殴り合いのケンカをするが、誰もが一目置いていて、オガちゃんだけはケンカしないようにしている。
普通にいい奴なんだけどさ。
私はオガちゃんに「どうする?」っと聞いた。
すると、
「俺がタックルして倒すから、クズケンは他の奴と一緒に上に乗ってけっ」という指示だった。
私は2、3人に声をかけ、みんなに回せと指示した。
「俺達がケンカしたわけでもねぇのによぉ」
と、みんな思っているだろう。
オガちゃんが「行くよ?、セーの」
オガちゃんがタックル、あれ?、倒れない、
振りほどかれる!
ヤバい。
と思ったら、今ちゃんが、スライディング。
流石。
Mが少しヨロケタ。
私達のクラスは学校一の武闘派集団? そこは見逃さない。腕を引っ張り、足を持ち、
遂にMを倒した。
Mを倒した瞬間、
怪獣か何かを倒して、正義のヒーローになった気分をみんな味わっていたに違いない。
B型
さそり座
出生時の身長は確か50センチ、
体重1.8kg
だったと思う。
生まれた時の身長と体重を良く知っていると、疑問に思うかもしれないが、小学校の授業でこのような発表をするという課題があり、覚えているのである。
付け加えて言うと、私は生まれてきた時に3度、死にかけたらしい。
母が輸血とか保育器がどうのとか言っていた。
未熟児で生まれたもんで、医者に「一生小さいかもしれません」と
言われたとも母は言っていた。
今日の医学は進歩していて、1kg以下でもまぁ生きていられるようだ。
母は医者にそんな事を言われたもので、焦ったらしい。
まぁ自分の子供が一生小さいってのは嫌だろう。
てな感じで、私が保育器から出て間もなく大きくなる為の特訓をしたそうです。
それと、私の名前は健康にちなんだ名前。
その特訓とは、他の生まれたばかりの子が離乳食を食べている時期に、私は普通の食べ物を食べさせられていたこと。
当然、消化できるわけもなく、モドしていたそうです。
それの繰り返し。
ある意味、虐待。
4歳からサッカーを習い、5歳でスイミングにも通い、8歳でピアノ、合唱団、塾通い。
おかげで前にも言ったように、172センチまでに成長した。
※(ヤブでよかった。)
ありがとう。
おまけに言えば、小学校の時に既に一人で電車に乗って、東は千葉、西は八王子、北は川口、南は川崎にまで行っていた。
小さい頃は誰でもこわいもの知らずだと思うが、
だだ一つ恐れていたものがある。
鬼教師のM先生だ!
このお方はハンパじゃない。
おまけに元ラガーマン。
私のクラスは毎日ケンカが絶えない。
もちろん、殴り合い。血を見る事もしばしば。
(東京でも治安の悪さは昔から3本には入るところ)
そんなの毎日見てると、そのうち周りもケンカを止めようなんて思わなくなる。
そんな時、担任があのお方Mだった。
担任の授業ではない、音楽、図工が一番ケンカ勃発率が100%を越える。
100%を越えるというのは、1回ではない、という事だ。
音楽の授業だった、始まった、あーあ、また始まった。
音楽の先生が止めに入り、とりあえず、休戦。
その後が酷かった。
担任がそれを聞いたのか、次の授業に凄い顔して教室に入ってきた。
もちろん、授業なんかしない。ケンカした当事者二人呼び出され、ケンカの理由をあのお方に聞かれている。
みんなあのMの前では、借りてきた猫になる。
しかし、あのMの前でまた言い争いになり、つかみ合いが、始まった途端二人は吹っ飛ばされていた。
タックルだ。
Mの必殺技の一つ。
その他にも、にぎり一発、ウメボシ、一本背負い、突っ張りなどがある。
私たちは小学生、体重がないから、2メートルくらいは飛ばされる。
するとMは
「そうだ、男子は立って一列にならべ」
そう言うと、少し離れた場所に立ち、こちらを睨みつけ、「お前たち男子全員で、俺を止めてみろ」
なんて、
「この人何いっちゃってんの?」って感じだったが、やらないとやらないでMの機嫌が悪くなるのは、みんな知っていたので、小さな声で「セーの」で飛びかかった。
みんな手を抜いていた。
それがMにはわかったのか、Mにつかみかかった奴から跳ね飛ばしていく。
私も飛ばされた。
私は周りの男子を見渡した。みんな「どうしたらいいんだよ」って目をしてる。
しかし、一人「ふざけんな」って目をしている。
オガちゃんだ。
みんな殴り合いのケンカをするが、誰もが一目置いていて、オガちゃんだけはケンカしないようにしている。
普通にいい奴なんだけどさ。
私はオガちゃんに「どうする?」っと聞いた。
すると、
「俺がタックルして倒すから、クズケンは他の奴と一緒に上に乗ってけっ」という指示だった。
私は2、3人に声をかけ、みんなに回せと指示した。
「俺達がケンカしたわけでもねぇのによぉ」
と、みんな思っているだろう。
オガちゃんが「行くよ?、セーの」
オガちゃんがタックル、あれ?、倒れない、
振りほどかれる!
ヤバい。
と思ったら、今ちゃんが、スライディング。
流石。
Mが少しヨロケタ。
私達のクラスは学校一の武闘派集団? そこは見逃さない。腕を引っ張り、足を持ち、
遂にMを倒した。
Mを倒した瞬間、
怪獣か何かを倒して、正義のヒーローになった気分をみんな味わっていたに違いない。
Posted by くず at
05:04
│Comments(1)
2011年01月12日
2、親父の教え
そうこうしているうちに私は、30年生きてしまっている。
親父と過ごしたのは20年くらいの間の話しだが、
親父としては背中で語りたかったのではないかと思われる。
俳優の高倉ケンさんのようになりたかったのか、、、。
親父はあまり自分の話しはしない。
「俺は俺、お前はお前」
みたいな、世の中の父親像としては、どうなのか?
今でも多少疑問に思う所がある。
だが親父は短気なだけあって、足はメチャメチャ早かった。
私も陸上やっていたので足には自信があるが、
私が幼稚園、小学校の頃の親子混合リレーなどでは必ず、いつもぶっちぎりで走ってきていた。
期待を裏切らない。
そして私の自慢の親父でもあった事も思い出す。
今までの話しでは私の家庭は父子家庭をイメージする方が多いと思いますが、
実は、親父には奥さんがいて、娘も一人いました。
私の母と妹です。
私が高校に入りたての時でしょうか、親父が短気な性分がたたり、仕事を辞め、生活が困難になりはじめた時の話しです。
いつものように家に帰り、少し疲れたので、ベッドに飛び込み、喉が渇いたので、リビングに行くと、家具が減っている?
おかしいぞ
「え!?」
と思い、妹の部屋に行くと「何もない」
私は少しビックリしました。
そして少し考えて、電話の横で、ぼーっとしていたのを覚えています。
親父は妻に家を出ていかれてしまいました。
夫婦間の細かい話しはよくわからないが、
私は「そういう事か」と頭では納得していた。
そして親父と二人で生活するようになった訳ですが。
当然必ずしも豊かな生活ではなかったのですが、とにかくその頃は、朝、夕食は米、梅干し、卵焼き、納豆の献立。
親父は私に気を使って、自分の嫌いな牛乳を買ってくる訳です。
牛乳ぎらいなくせに、ミニストップのソフトクリームは満足げに食べる。
私は理解に苦しんだ。
一度、突っ込んだ事もあった。「それ牛乳とかでできてるんだぜ、ソフトクリーム食べれんのになんで牛乳飲めねーの?」と
そしたら親父は
「ソフトクリームはお菓子だから」
とか、ほざく。
「なんだこの大人は?」
と思った。
話を戻すが、
昼食は1日1000円貰っていきますが、親父が仕事探しで帰ってくるのが遅かったりする時は、夕食分も含まれているので、東京の物価では少し辛かった。
しかし、いい事もたくさんあった。
食べ物の好き嫌いが、ほとんどなくなった事。
料理するようになった事(卵焼きくらいだが)
そして
親父の心は折れない。
冷静さ、行動力は凄いと目の当たりにできた事だ。
やはり親父の背中に教わった気がする。
親父はなぜ、こういう人間になったのかは謎だが、私に見せてくれたモノは本物で、男のカッコ良さを感じた。
少なくとも私はそう思っている。
そして今私が何故沖縄に来たのかは後で触れる事にしよう。
親父と過ごしたのは20年くらいの間の話しだが、
親父としては背中で語りたかったのではないかと思われる。
俳優の高倉ケンさんのようになりたかったのか、、、。
親父はあまり自分の話しはしない。
「俺は俺、お前はお前」
みたいな、世の中の父親像としては、どうなのか?
今でも多少疑問に思う所がある。
だが親父は短気なだけあって、足はメチャメチャ早かった。
私も陸上やっていたので足には自信があるが、
私が幼稚園、小学校の頃の親子混合リレーなどでは必ず、いつもぶっちぎりで走ってきていた。
期待を裏切らない。
そして私の自慢の親父でもあった事も思い出す。
今までの話しでは私の家庭は父子家庭をイメージする方が多いと思いますが、
実は、親父には奥さんがいて、娘も一人いました。
私の母と妹です。
私が高校に入りたての時でしょうか、親父が短気な性分がたたり、仕事を辞め、生活が困難になりはじめた時の話しです。
いつものように家に帰り、少し疲れたので、ベッドに飛び込み、喉が渇いたので、リビングに行くと、家具が減っている?
おかしいぞ
「え!?」
と思い、妹の部屋に行くと「何もない」
私は少しビックリしました。
そして少し考えて、電話の横で、ぼーっとしていたのを覚えています。
親父は妻に家を出ていかれてしまいました。
夫婦間の細かい話しはよくわからないが、
私は「そういう事か」と頭では納得していた。
そして親父と二人で生活するようになった訳ですが。
当然必ずしも豊かな生活ではなかったのですが、とにかくその頃は、朝、夕食は米、梅干し、卵焼き、納豆の献立。
親父は私に気を使って、自分の嫌いな牛乳を買ってくる訳です。
牛乳ぎらいなくせに、ミニストップのソフトクリームは満足げに食べる。
私は理解に苦しんだ。
一度、突っ込んだ事もあった。「それ牛乳とかでできてるんだぜ、ソフトクリーム食べれんのになんで牛乳飲めねーの?」と
そしたら親父は
「ソフトクリームはお菓子だから」
とか、ほざく。
「なんだこの大人は?」
と思った。
話を戻すが、
昼食は1日1000円貰っていきますが、親父が仕事探しで帰ってくるのが遅かったりする時は、夕食分も含まれているので、東京の物価では少し辛かった。
しかし、いい事もたくさんあった。
食べ物の好き嫌いが、ほとんどなくなった事。
料理するようになった事(卵焼きくらいだが)
そして
親父の心は折れない。
冷静さ、行動力は凄いと目の当たりにできた事だ。
やはり親父の背中に教わった気がする。
親父はなぜ、こういう人間になったのかは謎だが、私に見せてくれたモノは本物で、男のカッコ良さを感じた。
少なくとも私はそう思っている。
そして今私が何故沖縄に来たのかは後で触れる事にしよう。
Posted by くず at
10:22
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2011年01月12日
1、親父の教え
今日、ふと、数年前に私の父が還暦を迎えた時のことである。
「還暦を迎えて、息子に一言人生のアドバイス、教訓のような事はないか?」と尋ねた事がある。
父は少し考えた後に「特に言える事はない」と答えた。
私も突拍子もなく聞いてみたのではあるが、(何もない?)
あまりに簡単に応えたもので
「そんなはずはないだろ」
「何を考えて今まで60年生きてきたんだ」
と少し腹を立て、強く言ってしまった。
そして父は、苦笑しながら私を見つめ、こう言った。
「お前の人生だ、それは自分で考えて、お前なりの答えを出せばいい」と。
妙な説得力があったと言うべきなのか?
まぁもっともらしい答えと言えばそうである。
そんな事を父に質問するのも、私は父を多少なり尊敬していたからなのではあるが、、。
むしろ、私がそんな人生のアドバイスを簡単に人に聞いた事自体が恥ずかしくなってきた。
「心の体力をつけろ」
「お前の人生なんだから、お前で勝手にやれ」
昔から父は、事あるごとに私に言っていた事も思い出した。
一言、「理由は自分で考えろ」
男同士の親子というのは無口というか、暗黙の了解というのか、そんなものなのかもしれない。
普段は2人でいてもあまり話はしない。
小さい頃から一度も叱られた事がなかった。
学校の成績の事、喧嘩、警察に補導された時も、ついには高校を中退した時もだ。
思い返せば、少し妙な感じで、拍子抜けしてしまう。今となっては。
それでも一言
「勉強した方がいいんじゃないか?」
とか?
警察沙汰はまずいんじゃないか?」
とは軽く言っていた。
高校中退した時は何も言わなかった。
ここまでの話しで父は、温厚なイメージだが、実は私の50倍は短期なのである。
ビックリするかもしれないが、本当にそうなんだ。
私の身長は172cmだが、それよりもデカイし、牛乳飲めないのに、骨太、筋肉は、昔陸上で鍛えた私以上にある。
肉体労働者って感じなのだ。
威圧感が周りに漂っているように他人から見えたようだ。
たしかに父は職場では恐がられていた。
役職的なものもあっての事だが、
そんな父だが、私には手をあげた事もなければ、キツク叱る事もしなかった。
「答えを知っているのに、なぜだ?」
と思っていた。
「本当は父も知らないんじゃないか?」と子供ながらに思った時もあったが、父からは変な哀愁が漂っている。
それが、こいつは知っていると思わせるというか、いや絶対に知っていると、いつも歯痒い思いをさせられてきた。
今になってわかる事だが、「自分の認識を持て、
お前の脳みそとは違う、だから人生を生きるコツも違うから、俺の考え、答えはお前には必ずしも通用しない」と言いたかったのではないかと思う。
ならそう言ってくれれば良かったのにと思うが、、。
単純なことだが、人にモノを教える時に、1回教えて出来る人もいれば、2回、3回教えてもダメだったりする人もいれば、違う教え方をしたら、1回で出来る人もいるだろう。
そんな感じであろう。
「還暦を迎えて、息子に一言人生のアドバイス、教訓のような事はないか?」と尋ねた事がある。
父は少し考えた後に「特に言える事はない」と答えた。
私も突拍子もなく聞いてみたのではあるが、(何もない?)
あまりに簡単に応えたもので
「そんなはずはないだろ」
「何を考えて今まで60年生きてきたんだ」
と少し腹を立て、強く言ってしまった。
そして父は、苦笑しながら私を見つめ、こう言った。
「お前の人生だ、それは自分で考えて、お前なりの答えを出せばいい」と。
妙な説得力があったと言うべきなのか?
まぁもっともらしい答えと言えばそうである。
そんな事を父に質問するのも、私は父を多少なり尊敬していたからなのではあるが、、。
むしろ、私がそんな人生のアドバイスを簡単に人に聞いた事自体が恥ずかしくなってきた。
「心の体力をつけろ」
「お前の人生なんだから、お前で勝手にやれ」
昔から父は、事あるごとに私に言っていた事も思い出した。
一言、「理由は自分で考えろ」
男同士の親子というのは無口というか、暗黙の了解というのか、そんなものなのかもしれない。
普段は2人でいてもあまり話はしない。
小さい頃から一度も叱られた事がなかった。
学校の成績の事、喧嘩、警察に補導された時も、ついには高校を中退した時もだ。
思い返せば、少し妙な感じで、拍子抜けしてしまう。今となっては。
それでも一言
「勉強した方がいいんじゃないか?」
とか?
警察沙汰はまずいんじゃないか?」
とは軽く言っていた。
高校中退した時は何も言わなかった。
ここまでの話しで父は、温厚なイメージだが、実は私の50倍は短期なのである。
ビックリするかもしれないが、本当にそうなんだ。
私の身長は172cmだが、それよりもデカイし、牛乳飲めないのに、骨太、筋肉は、昔陸上で鍛えた私以上にある。
肉体労働者って感じなのだ。
威圧感が周りに漂っているように他人から見えたようだ。
たしかに父は職場では恐がられていた。
役職的なものもあっての事だが、
そんな父だが、私には手をあげた事もなければ、キツク叱る事もしなかった。
「答えを知っているのに、なぜだ?」
と思っていた。
「本当は父も知らないんじゃないか?」と子供ながらに思った時もあったが、父からは変な哀愁が漂っている。
それが、こいつは知っていると思わせるというか、いや絶対に知っていると、いつも歯痒い思いをさせられてきた。
今になってわかる事だが、「自分の認識を持て、
お前の脳みそとは違う、だから人生を生きるコツも違うから、俺の考え、答えはお前には必ずしも通用しない」と言いたかったのではないかと思う。
ならそう言ってくれれば良かったのにと思うが、、。
単純なことだが、人にモノを教える時に、1回教えて出来る人もいれば、2回、3回教えてもダメだったりする人もいれば、違う教え方をしたら、1回で出来る人もいるだろう。
そんな感じであろう。
Posted by くず at
05:05
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