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くず
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2011年01月12日

2、親父の教え

そうこうしているうちに私は、30年生きてしまっている。

親父と過ごしたのは20年くらいの間の話しだが、

親父としては背中で語りたかったのではないかと思われる。

俳優の高倉ケンさんのようになりたかったのか、、、。


親父はあまり自分の話しはしない。

「俺は俺、お前はお前」
みたいな、世の中の父親像としては、どうなのか?
今でも多少疑問に思う所がある。

だが親父は短気なだけあって、足はメチャメチャ早かった。
私も陸上やっていたので足には自信があるが、
私が幼稚園、小学校の頃の親子混合リレーなどでは必ず、いつもぶっちぎりで走ってきていた。
期待を裏切らない。

そして私の自慢の親父でもあった事も思い出す。



今までの話しでは私の家庭は父子家庭をイメージする方が多いと思いますが、

実は、親父には奥さんがいて、娘も一人いました。

私の母と妹です。

私が高校に入りたての時でしょうか、親父が短気な性分がたたり、仕事を辞め、生活が困難になりはじめた時の話しです。

いつものように家に帰り、少し疲れたので、ベッドに飛び込み、喉が渇いたので、リビングに行くと、家具が減っている?

おかしいぞ
「え!?」

と思い、妹の部屋に行くと「何もない」

私は少しビックリしました。

そして少し考えて、電話の横で、ぼーっとしていたのを覚えています。

親父は妻に家を出ていかれてしまいました。

夫婦間の細かい話しはよくわからないが、
私は「そういう事か」と頭では納得していた。

そして親父と二人で生活するようになった訳ですが。

当然必ずしも豊かな生活ではなかったのですが、とにかくその頃は、朝、夕食は米、梅干し、卵焼き、納豆の献立。

親父は私に気を使って、自分の嫌いな牛乳を買ってくる訳です。

牛乳ぎらいなくせに、ミニストップのソフトクリームは満足げに食べる。
私は理解に苦しんだ。

一度、突っ込んだ事もあった。「それ牛乳とかでできてるんだぜ、ソフトクリーム食べれんのになんで牛乳飲めねーの?」と
そしたら親父は
「ソフトクリームはお菓子だから」
とか、ほざく。

「なんだこの大人は?」
と思った。

話を戻すが、
昼食は1日1000円貰っていきますが、親父が仕事探しで帰ってくるのが遅かったりする時は、夕食分も含まれているので、東京の物価では少し辛かった。

しかし、いい事もたくさんあった。

食べ物の好き嫌いが、ほとんどなくなった事。

料理するようになった事(卵焼きくらいだが)

そして
親父の心は折れない。
冷静さ、行動力は凄いと目の当たりにできた事だ。

やはり親父の背中に教わった気がする。


親父はなぜ、こういう人間になったのかは謎だが、私に見せてくれたモノは本物で、男のカッコ良さを感じた。

少なくとも私はそう思っている。

そして今私が何故沖縄に来たのかは後で触れる事にしよう。



Posted by くず at 10:22│Comments(0)
 
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